Screw

ベンヤミンのパサージュ論は「移行」であって「街路」であって「通過点」である。と評論する・・
自分の「写真論」というか「写真」に対する概念も「移行」であって「通過点」であるとベンヤミンに感化されて思想している。
「写真」というメディア媒体は・・
現代に於いても古典に於いても、レンズを通して感光され現像分析され基本的画像が形成され提案される。
そこには必然的に第三者(メーカー等)の介在が存在する・・
受け取る側の撮影者は画像を第三者から提案されたものを受け渡しされるだけに過ぎない。そこにあるものは「移行」「通過点」である・・
リレーする表現メディアはどうだろう・・・?インターネットを介在するか?ペーパー出力し閲覧者の前に展示するか?はたまた業務印刷を経て プレゼンテーションさせるか?いずれにしてもそこでもまたまた第三者的なメディアや機器が「移行」介在する・・
最終段階として人々の目に入り「写真」としての認識もそれぞれの「概念」を通して確認される「通過点である」。
「写真」の本質は何か?と判断するときカメラという機械を通して単なる「記録」から「思念=私念」への通過点と・・・
自分なりの判断をしている・・・
それにしてもパンを被写体じゃ説得力もあったもんじゃないですね・・・
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by toshi5702 | 2010-04-09 00:17 |