アーケード

「パサージュPassage」とは、19世紀初頭のパリに建てられた、高級店、流行品店が屋根付きの通路をはさんで軒を連ねるという形式の建築であり、アーケード式商店街。
そして「パサージュ」とは「通過」することの意味もある。
ヴァルター・ベンヤミンは『パサージュ論』の中で
「通過」とは、茶碗でいうならロクロで成型をして窯に入れ、これを引きずり出すことである。読書でいうなら書物を店頭から持ち出してページを開くことである。むろんそれらの行為にはあらゆる意図がからみあう。けれども、その行為はいずれは終わる。終わってどうなるかといえば、それはどこかに配列されて布置される。それが都市というもので、社会というものなのである。と述べている・・・
さらに「写真」は近代社会がつくりだした最も劇的な配列と布置を記録する方法。といい
ベンヤミンはこの「写真」または写真術に対して、「写真」はシャッターを切った瞬間においては「それはまだ複製ではない」と見抜いた。
写真家が「写真」を撮ったときは何がおこるのか?「パサージュがおこったのだ。」と言い切る・・
「写真」はベンヤミンがいうところの「パサージュ」そのものなのだ。その写真を見た側には何がおこったのか?。見た側にも「パサージュ」がおこるのだ。ともいう・・
では、これらの行為のなかでどこからが「原景複製」なのか。
「パサージュ」の存在を意識しないという行為そのものが、写真を瞬時に「複製」にしまうのだ・・・ともいう・・
自分が理解するに・・「写真」は「複製」が主目的ではなく「パサージュ」が目的なんだ・・と
しかし、20世紀においてこの「論理」は通用しても、21世紀のデジタル文明においては瞬時の処理される画像解析の素早さには「通過」は「なにがおこったのか?」と考えるヒマも無くなってしまった・・せめて自身の行動の中に「パサージュ」を埋め込むことにした・・

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By leica M2

by toshi5702 | 2009-11-15 00:01 | FOMAPAN100